イタリアスキー実体験レポート メンバーズボイス・アンケート イタリアスキー達人のコメント

2002 season 最新実体験レポート

アルプスキークールマイユール&チェルヴィニアと南イタリア
2001.2.17〜2002.3.5
川田 良吉[初回]

スキーの余録 〜ローマ、ナポリ、ポンペイ〜

ローマへ

 3月1日(金曜日)ローマ、Leonardo da Vinci空港から送迎車でホテルへ夕刻早めに着く。昼食の機内食はよかった。空港のロッカはセキュリティのため閉鎖。ローマ3ステイの日曜日をナポリ、土曜日を薦めによりバチカンに当て、あとは成行きと決めている。スキーの余録である。ポポロ広場とベエネチア広場とを結ぶコルソ通りのすぐ西にあるCOLONNA PALACE HOTEL(☆☆☆☆)は朝食付きで夕食なし。朝食はホテルの屋上のオープンガーデンで3日間とも爽快な朝日が射すテーブルからは、ドーム、スタチュウ、キャッスルが遠近に見晴るかせる。大変に豪華な気分で今日一日が楽しくなる予感。乾物の朝食にはサラダが付く。一階のロビーは大小5室がバーを含めてある。シングルベッドの部屋もずっと広く豪華になる。


バチカンと突然のトレビの泉

 土曜日朝、バチカンへ行きたいとてフロントで地図をもらい行き方を教わる。ホテルの前はわずかに盛り上がったモンテシテリオ広場で向かいにキジ宮殿と代議院が古臭くあり、衛兵が二人いつも立っていた。北へ20分程歩くと南に面した階段状のエスパニア広場がある。朝から人出が多くソフトクリームを食べている人その他。メトロでオッタビアノのを降りて10分程で、バチカン市に突き当たる。

 観光客用の正面に、MVSEI VATICANIとある。Vは、うとば、に使い分けられる。博物館の様子はミケランジェロをはじめ、全く歴史を語り、その道の資料に譲る。ジャンがこよなく愛すると言った唐松の実のモニュメントが高さ10mに。印象的なのは薄暗い空間に、白だけのステンドグラス。わずかなバックライトに浮かび上がるのは、極く細い黒線で縁どられた、マリアとキリスト。出口の吹き抜けホールにある4重の螺旋階段の手すり模様のセンスがよい。



 バチカンからホテルまで2kmを歩いて帰る。テベレ川を渡りひたすら東へ歩く。左右に4階建てのブランド店が立ち並ぶ道はこの時間、土曜日なのにドアは閉まっている。持っているかなり詳細な地図をたよりに右や左に歩き、ポリスや店や通行人に何度かもう近いはずのホテルを聞くが、要領を得ない。だいたいホテルの名前が、コロナとかうろ覚えで、広場名は全く忘れている。また行くと右にトレビの泉が忽然と現れる。歩き過ぎでぐるりと回る傾向にある。一服と写真。地図を見、尋ねながら同じ広場に何度も戻り、ぐるりと回って歩き過ぎでやっとホテルへたどり着いた。地図には縮尺も距離も記載がなくてただ広場、道路名など書かれ、ホテルはコロンナ広場を背にし、モンテシテリオ広場に面したキジ宮殿の前なのでコロンナパレスホテルの名は適切ではないとぼやく。部屋から電話でナポリ観光ツアーを予約する。デラックス、日本語ガイド付きでポンペイにも行くコースを選び、朝8時発夕7時着とのこと。


ナポリとポンペイのバス観光

 日曜日朝、迎えの車で道路脇のグリンライン事務所へ。114ユーロ。バスはすぐ出る。ナポリまで200km、3時間。ガイドは英語、イタリア語、フランス語、スペイン語で他に何語がよいかと尋ね、結局、英語となにかのラテン系語になる。次に日本語のガイドが自己紹介した。混載便。席の隣りの3世代は沖縄から来て赤ちゃんは1歳少々で手が掛からないと。通路の左はシルクのマフラをした中年ダンディー日本人夫妻。その前席の高価なデジカメを持つ外人に機能を聞くと得意げによく説明してくれる。それだけ英語ができれば世界中何処でも行けるでしょうと誰かが。とんでも。アオスタもそうだが建物の屋根瓦はみな赤い。田園の道路を走り、土手にはリンゴ、クルミ、ミモザ、のブッシュが白、ピンク、黄と鮮やかに咲き誇っている。少し離れて背が高くずっと続くポプラのような街路樹がヴィアアピアを示す。

 ナポリに入ると右手にエンリコカルーソの生誕の赤屋根の家が密集した家並みの中に。すぐにサンタルチアを見下ろす丘の道路脇の展望テラスにバスは止まる。海のかなたに左から低い岬が延びてソレント。その右にカプリ島。テラスでオソレミオと帰れソレントを思い切り歌う。私のアルプスキーのキャッチフレーズは「アルプスでヨーデル、ナポリでカンツォーネ」。丘を下りナポリ入江の漁港と町並みを抜けてカメオ工房へ。30%引きとのことで、マエストロの作品にはサインが刻まれるが、見習いのはノーサイン。今はレーザー彫刻もあるとか。バスですぐ行って昼食。ナポリから南東へ25kmを行くと、左に富士山のようにサイクロイド曲線を絵がいた秀麗なベスビオ山(1277m)の麓を見てポンペイへ着く。途中ポンペイと同じ運命をたどったエルコラーノを過ぎる。


 ポンペイはBC424年から歴史書に記されるが、AD79年のベスビオ火山の爆発で20mの火山灰と火山岩とにより完全に埋め尽くされて見捨てられた。AD1600年に運河工事をきっかけに発見されて以来少しずつ発掘が進んでいる。オリーブとワインを生産する他交易の要港で栄え、まだキリスト教は及んでなかった。詳しくは資料に譲る。新約聖書はAD41から98年に書かれた。ガイドに連れられた私たちは、劇場、豊かな邸宅とそのパティオや今も色鮮やかな壁画や彫刻や台所、売春宿、所どころにある同じスタイルの酒場、公衆浴場、広大なビーナス神殿、アポロ神殿、などを見る。地中海交易の要所ポンペイは道路が条理制で石畳の馬車の轍は場所によっては深さ10cmはある。

 途中の辻でガイドを見失いダンディーと3人になってしまう。私は先に進むがダンディー夫妻は、後ろを見てこっちだと身振り。グループに戻って結局、私が進んだ道に行く。ガイドはすぐ売春宿の中を説明し、天井の数々の絵は言葉が異なる異国人にも好みのスタイルを選べるようにしてると言う。出てからダンディーはあそこで迷ったのは匂いがしたのですね、に私はどうもなんとなく袖を引かれる感じでしてと。3人は笑う。帰り道、遺品を収蔵した倉庫があり、1斗は入る細首で両柄付きの例の大壷が並んだ脇にガラスケースに収められて完全に人の型をしてうつ伏せした物体があった。ミイラではない。火山灰や火山岩が凝灰岩になり有機物が地中に分解した空洞に液体の石灰を流し込み得られる人型である。


 2000年前の時空から私たちは現実の道へ戻る。土産物を売る露店が幾つかあって、若者がはがきサイズの写真集を、よい記念ですよ10ユーロと言うので7ユーロならと言ったら若者は去った。バスに向かうと若者が追っかけて来て8ユーロという。買うと言って10ユーロ札を渡し、お釣をだまされないようにその露店に付いて行き店長から12ユーロのお釣を貰う。どうなっているのですか。バスの席に戻って写真集の裏側にユーロ9.50とある。この写真集は全文日本語で、裏書きに、ブイジイオン社刊、復元図付きガイドブックシリーズ、ポンペイ・エルコラーノ、現在と過去とある。90頁。要所要所の現状の写真の前頁には透明なフィルムがあり、今はなく当時だけの部分を再現させた画像がプリントされていてその他は透明。フィルムを重ねれば当時の、外せば今見てきた姿が見える。文章も考古学的に検証もされている優秀なもの。

 バスに乗るまでの時間に、写真集の土産買いの戦果を話したり、ネパルやウズベクでの土産買いの交渉は6がけから始まって8になったら止めるとか、アルプスキーの田舎では、食後に出るグラッパがよろしいなどとしゃべった。ダンディーからそれは何ですかと尋ねられ、材料、蒸留方、度数、自家製であることを伝えた。スペルを聞かれて言うと、メモを出して書いていた。

 グラッパ(Grappa[graユ:pa:])は、イタリア北部の特産の滓取り蒸留酒。ぶどうを房毎軽く搾って得られる滓はmarc[ma:r, ma:k]と言われて果皮、種、果柄少しの果汁を残す。これを醗酵、蒸留して得られ、調合される。極めて透明でアルコール45%前後、永い年月樽で寝かされ芳香がある。コニャック、アルマニャック等のブランディもmarcから得られる。 Grappaは(grapeと語源が同じ)、イタリアのピエモンテ、ベネト、フリウーリ、トレンティーノ、トスカーナ地方が良質であり、種類が多いがメーカは少ない。私がアルプスキーで戴いたグラッパは、ディナーの勘定を終えた後に出るおごりでして「白いビロードの衣をまとった天使が、おやすみと言っている」ようだ。食後のデザート、茶またはコーヒの後に、50ml程を、あわてずに飲むのがよい。


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